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2003.06.12 更新
サロン「きもの村」を主宰する長根英樹です。
プライヴェートなコミュニティへの参加、共創による村づくりを
呼びかけ、村長として村運営を進めていくにあたって、自己紹介を
行うとともに運営の根本動機・基本的立場についてご案内します。
【自己紹介】
1966 岩手県生まれ。
水沢市にて中学、高校時代を過ごす。
1985 高校卒業後、大学進学。
神奈川県横浜市港北区日吉へ。
1989 大学理工学部卒業後、PR会社へ入社。
PR会社にては、メディアセクション、アカウント(営業)
セクションを経て、企画セクションへ。
1994 山形県の長期10カ年計画のビジョンコミュニケーション
プロジェクトチームに参画。
山形出張の際、米沢に立ち寄ったのが縁で、織元と知り合う。
1995 山形プロジェクトの後、インターネットプロジェクトチームに
所属し新たなネットコミュニケーションを研究。
初めてのきもの、夏の単衣、経:絹×緯:綿の綿御召にて
きものの魅力を実感。
婦人画報社「美しいキモノ」を初購読。
米沢に織元を訪ね、そのラインナップ、織の多彩さに驚嘆。
PR会社から徒歩1分の小売店「銀座もとじ」にて角帯を探しつつ、
機械織大島紬アンサンブル(2枚目のきもの)を購入。
11月 「鈴源織物 きものホームページ」公開サポート。
1996 30歳にて織元の娘と結婚。12月末PR会社退社。
1997 4月 米沢 鈴源織物有限会社 入社。
ネット交流を通じ、きものくらぶの沢井夫妻と初会合。
1998 3月末 独自ドメイン suzugen.co.jp にて、鈴源織物ホームページ
リニュウアル。
コミュニティコーナー「鈴源村」プレオープン。
7月末 鈴源織物有限会社 退社。
8月 「鈴源村」閉鎖。
8月末 独自ドメイン kimono.gr.jp を取得。
「きもの村」プレオープン。
9月 「きもの村」正式オープン。
株式会社銀座もとじに契約社員として入社。
米沢をベースに、月2回ほどの出張で銀座店頭へ。
1999 2月 「きもの村」一部機能を残し休村。
3月 「きもの村」休村/クローズ。
3月末 株式会社銀座もとじ 退社。
7月 「きもの村」再開。
200012月 「小沢一郎政治塾」1期塾生合格
2001 4月
「長根英樹ホームページ」 公開
2002 8月 「小沢一郎政治塾」1期卒業
2002 「きものダンディズム」をテーマに男のきもののプロデュースに
2003 取り組む。
「スローライフ」運動を、衣・食・住(food, clothing, and
housing)の「衣」の分野から進める「スロークロージング」を
提唱、プロデュース。
装いのメッセージ性(言語的機能要素)に着目し、服装による
“会話力”を高める「服装リテラシー」の重要性を提唱。
論文寄稿やメールマガジン等で活動を展開。
きもののプロデュースと地域再生、日本の精神文化再興などを
総合的に捉え、幅広い視点からきもの心、和の心の見つめ直しに
取り組む。
【きものとの関わり】
30を前にしてきものの魅力に目覚め、30を過ぎてきものの
世界に飛び込みました。
しかしながら、その前は洋服に凝っており、お洒落研究が趣味。
・大学卒業旅行で、Ermenegildo Zegna のス・ミズーラ
紺のスリーピースをオーダー。
・ネクタイ80本。
・ストール/スカーフ40枚。
・シャツ70枚。
・編み上げブーツ8足。
・白麻スリーピース。
・ダブルジャケット&ダブル衿つきベストのスリーピース。
・革ものに目が無く、ロングコート3枚。ジャケット1枚。
ジャンバー6枚。パンツ2枚。シャツ2枚。
・披露宴用にロンドンでフロックコートを入手。
などなど。
山形出張時、米沢に立ち寄ったのも米沢織のストールを入手する目的。
右:1996 年 結婚披露宴にて フロックコート 洋装 昼正礼装(クラシックスタイル) |
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ここで、私のきもの好きは、きもののみにあらず。
装い、
・それは美意識の表現であり、
・時と場(TPO)をどう解釈し、どの様な心持ちで臨むか
というわきまえの表現、
・スタイル(流儀)の表現、
すなわち己の心の在処(ありか)を表現するアイデンティティそのもの。
その意味で、和洋を問わずスピリチュアルで奥深いものと捉えています。
きものについて在り来たりのイメージしか持たず、と言うより
実際に間近に見て触れることなく、お洒落=洋装との観念で、きものを
装いの選択肢に入れることすら想像の出来なかった私にとって、
きものとの最初の接点が米沢の男もの専門メーカー鈴源織物の
織物であったことは幸運であり、運命的な縁を感ぜずにはいられません。
装いの要素として、デザイン・素材・生地・色・仕立て・コーディ
ネイトなど様々ありますが、私の中で素材・生地の占める意味合いは
非常に高く、中でも織りによる色柄表現に魅力を感じています。
例えば、ネクタイでもプリント柄のタイプではなく、織柄のものを
好んで揃えていました。
きものを生地(テキスタイル)、織りという観点で見たとき、その
技/表現の多彩さ、繊細さ、何より美しさに驚嘆しました。
・夏素材、捩り(もじり)による男の透け素材。
・袴の縞目に見る、色合わせ・縞の太細等の組み合わせの小宇宙。
・玉虫の微妙な光の移ろい。
・「ヌメっと」とはまさに糸偏に光りと書いて「絖:ぬめ」という
繻子(しゅす)織りのなめらかで光沢のある織物に由来の言葉とは!
糸の取り方の違い、撚り方の違い、交差法則の違い、色合わせの違い、
これらの組み合わせ方により無限の可能性を秘めた織りの世界の美。
将来的には、織の分野でのクリエイティブを志向しているところです。
また日本が世界一の絹消費国(http://www.world.co.jp/fashion/know/k_18.htm
ヨーロッパ各国の合計よりも多い)であることは後に知ったことですが、
素材としての絹のもつ力、光沢・しなやかさ・張り・強さ・贅沢さを抜きに
きものの魅力を捉えることは私には出来ません。
そのデザインにおいては、打ち合わせスタイルによるゆったり感と
ともに、洋装と大きく違い首もとを見せるという意味での襟元の美意識、
端正なたたずまい。
1反(約38cm×12m)の布地を巧みに裁断し合わせる裁断図の
美しさ。それは、直線裁断を基本とし解いて縫い直すことを前提に
生地を活かし切るという仕立て哲学の美と捉えることが出来ると思います。
装いで気持ちを表すと言う意味での素材、生地、色目、柄、小物等の
コーディネイトにおける機微、繊細さ、洒落心。
これら先人の積み重ねてきた蓄積の奥深さに対する敬意と謙虚さ。
これが、私がきものの魅力を分かち合い、あらたな価値の創造を
模索する際の前提であり、きものへの想いの原点です。
ここで、「私のきもの好きは、きもののみにあらず」としたのは、
その形/デザインだけをしてきものを好きだというのではなく、
・素材・生地、技・洒落心の蓄積といったものを踏まえ、装いに意義を
見いだすことが好きで、
・和洋を問わずファッション、突き詰めるところのスタイルに興味があり
好きだということで、
こう言った前提において、自分の心を素直に表す装いとしてきものを捉え
魅力を感じ、好きだという意味です。
いずれ、これら美意識、スタイルといったものは捉え方、趣味/嗜好の
問題ですので、絶対的な価値を論ずるのではなく、“単にきものを着ていて
好きだ”というところから一歩踏み込んだ形で趣味を同じくし、“素材・
生地そのものが好きで、背景・心を解釈したり、装いで心を表現したり、
過去の着道楽・洒落心を学んだり、あらたなものを創造したり、想いを
同じくし、品よく交流することが好きだ”という仲間によるサロン共有、
コミュニティ運営が基本となります。
サロン「きもの村」の交流においては、この想いの共有を前提とし、
ともに先人の蓄積を学び、継承し、現代に昇華させあらたな価値を
創造する共創による村づくりを進めていきたいと考えています。
想いを同じくする同志の参加をお待ちしています。
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